本日午前中、オウム死刑囚6人の刑が執行された。教祖ら7人に死刑が執行されたのが7月6日だったので、ちょうど20日後ということになる。犯罪に至った経緯について教祖が口を閉ざし、その取り巻きも宗教上の教義等で口にすることがなければそれ以上の動機や原因分析は不可能であるし、死刑執行もやむを得ないのではないか。短期間に死刑が執行されたとはいえ、特に教祖や幹部が対象であるので、宗教上の新たな問題が発生するとどんな事件が起きるかわからない。どこかのマスコミは法務大臣が就任後、何人に死刑が執行されたと死刑執行が悪と捉えているようだが、法務大臣が死刑執行文書に印を押すのは仕事の1つである以上、それをしないのは怠慢といわれても仕方がない。それがいやなら法務大臣にならなければ良いだけだ。鳩山邦夫法務大臣の時に死刑が多く執行されたが、朝日新聞は死に神と表現していたことがある。今回はどう表現するのだろう。バカなことばかり記事にしているから読者が激減している事に気づけよ!! 先日の死刑執行でもEUなどがグズグズ言ってきたようであるが、すぐに射殺する国にグダグダ言われる筋合いはございません。特に価値観を強制したがる国など相手にする必要はない。時々、死刑になりたいから殺人を犯した、というようなバカが現れるが、その場合は死刑でなく終身刑であるべきだ。死にたくて事件を起こせば終身刑+重労働。死にたければひっそり自分で死んでもらう。前にも記したが、凶悪犯罪や残虐犯罪は同害復讐の原則で良いだろう。もちろんそこに至った経緯に情状酌量の余地があれば話は別であるが、被害者に非が無く一方的な犯罪であれば同害復讐も有りだと思う。まずは凶悪犯罪を起こした場合、被害者の人権と同等と考えればペナルティとして人権停止は検討されてもおかしくはない。人権停止と同害復讐だけで世の中が良くなるとは思わないが、そういった事件の抑制にはなるだろう。それよりもまず、相手と立場が逆だったらどう思うか、ということを小学校の道徳で何度も問うてみるべきではないか、せっかく正式な科目となったのだから。