近年、記録的な高温や大雨でいろいろな被害が出ているが、いわゆる異常気象の頻発をどのように解釈すればいいのだろうか? 国内で見れば、昭和の終わり頃にアメダス網が整備され、細かな気象データの収集が可能となって気温や降水量の記録が更新されることが多くなったように思う。それまでは、気象台ないしはその機関に属する測候所でのデータのみが正式記録であった。もちろん、大学や電力会社の計測値も提供されていたが参考値という注釈が付いた。例えば、日本の最低気温は1902年1月25日、北海道の上川測候所(現在の旭川地方気象台)の-41.0℃である。ちなみにこの時の寒波で八甲田山において大きな遭難事故があった。しかし、実際には1978年2月17日に北海道幌加内町母子里の北海道大学演習林で観測された-41.2℃であるが気象官署でないため参考記録扱いだ。アメダスの整備によって気象情報の精度が上がったのは画期的であり、災害が起きるような気象条件が解析されて防災に役立つようになることを望む。しかし一方で、脱二酸化炭素が叫ばれているが、本当に二酸化炭素の排出を抑えれば温暖化を防止できるのだろうか。数値としてはっきりしているのは、南極の氷に含まれている空気の分析結果であるが、産業革命が始まった頃の空気中の二酸化炭素濃度は250ppm前後であった。現在は400ppm前後になっておりこの300年ほどで1.6倍になった。夏場の北極海で氷が殆ど無くなることや以前は熱帯地方でしか生息できなかった生物が温帯地域にまで生息域を広げていることが上げられる。この部分については温暖化の影響なのかどうかは断定できない難しさがある。個人的に思うのは、二酸化炭素の排出は少ないにこしたことはないが、人間の排出する二酸化炭素より桁違いに大量の二酸化炭素が溶けているとされる海水から突然二酸化炭素が排出されるようなことがあればどうなるのだろうか。中生代の大型爬虫類が闊歩していた時代は二酸化炭素量が今よりもかなり多く気温も10℃近く高かったようだ。大陸が一つにまとまった超大陸パンゲアがあったため、地球の重心が少しぶれ火山活動の活発化とともに大陸移動が始まったが、この火山活動のために大量の二酸化炭素が排出された。そういったことを考えると排出しない努力での効果より自然界から大量に排出された時にどう対応する技術があるかの方が大切ではないか。1980年代から話題になったオゾンホールもフロンガスの使用中止などが効果を現し、最近はオゾンホールがずいぶん小さくなって話題に上ることが無くなった。地球温暖化については簡単にはいかないだろうが、オゾンホールのようにひっそりと幕を閉じてくれるような時代になって欲しいものだ。